坐禅 -ZAZEN- のススメ 

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こんにちは 副住職です。

 

ここ東光禅寺は、何か圧倒的な建造物を誇るわけでもなく、

国宝級の文化財を抱えているわけでもない。

歴史は比較的古いけれど、日本全国で見れば本当にありふれたというか、

住宅街に埋もれるように控えめにたたずむ小さな一寺院にすぎません。

 

それでも「禅寺」の看板を掲げるからには、やはり「禅の専門店」として、

みなさまに実体験を通して禅を少しでも身近に感じていただきたいし、

そのためのメニューを精一杯提供していく義務と責任がある、そう考えています。

 

ストレスの多いこの時代だからこそ、禅は人々に生きる力を与え、

人生の羅針盤として何かしらの道筋を示すことができるはず。

その信念のもと、どんなに忙しくてもできる限り参加を希望される方々の

ご都合やご期待に沿えるよう、長年試行錯誤しながら皆さまとともに修行させて

いただいてまいりました。そして、おかげさまで今ではとても多くの方が足を

運んで下さるようになり、日々、坐禅や写経を通じて禅の世界の一端に

触れていただいていることを嬉しく思っています。

 

ここでは基本的に、日時や人数、レベルなど個々のご希望や経験にそれぞれ

合わせた、いわゆる「オーダーメイド型」の坐禅を行っています。

初心者の方がほとんどですが、せっかくの機会が苦痛や我慢だけで終わるのは

少しもったいない、ですから初めてでも無理なく坐っていただけるよう、

柔軟にご対応させていただいています。

お一人で、ご夫婦で、親子で、ご友人同士でプライベートにちょっと坐ってみる。

なかなかいいものです。

 

初めは特に詳しいお話は聞かず、要点を説明し、まずとにかく坐っていただく。

そのときはもちろん私たちも隣でご一緒します。もちろん、「指導する」なんて

偉そうな立場ではないので、「ともに修行させていただく」ということです。

本尊の薬師如来様やその他の多くの仏、そして天井の龍神に見守られながら、

静寂とほどよい緊張感が支配する、なんとも心地よい贅沢な時間が流れます。

一通り坐禅が終わるとお抹茶とお菓子で茶礼し、リラックスしていただきます。

 

始める前は緊張していても、坐禅が終わって本堂を後にして一服すると、

皆さん何かから解放されたかのようにホッとした顔をされ、

安心して坐禅の感想や動機、ご自分の身の上などいろいろなお話をされます。

そして、「今日は来てよかったです」の言葉とともに、とても良い表情と笑顔で

お寺を後にされるのを見ると、こちらも感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

皆さんバックグラウンドは本当に十人十色。

学生さん、銀行員、商社マン、保険屋さん、公務員、アントレプレナー、

看護師、福祉施設職員、編集者、ライターさん、高校野球の監督さん、

格闘家、音楽家、エンジニア、某国駐日大使館の外交官…

そう、近頃は外国人の方の参加も増えてきました。

年代は、20~30代の若い方が最近特に多いようです。

 

仕事のストレス、対人関係の難しさ、将来への不安など、

色々な悩みを抱えて坐禅にいらっしゃる方も少なくありませんが、

その一番根っこの部分に共通するのは、

「何物にも振り回されない本来の自分を取り戻したい」

ということ。

 

「振り回されない」と聞くと、頑丈でびくとも動かない岩のような心を

想像されるかもしれませんが、実はまったくの反対で、

「どこまでも自由でしなやかで広く大きい心のあり様」を言います。

「かたよらず、とらわれず、こだわらず」の3Zが、禅の境涯です。

 

「花を見て、微笑できる心こそ禅だ」

とは、かの山田無文老師の言葉です。

自分と同じ、大いなる命を懸命に生きる小さな花の生命力に感応できる心、

その心こそが、あなたの尊い「本来の自己」である、ということです。

皆、自分が生きることに精一杯で、多くの自我がせめぎ合う冷たい社会に

なっているこんな時代だからこそ、触れ合う人も自然も同じ生命を生きている

という事実に気付くことが必要なのかもしれません。

そしてその第一歩は、姿勢を正し、ゆっくり深く呼吸をし、

静かに坐って心をととのえることから始まるのです。

 

何はともあれ、禅は言葉や説明ではなく、体ごと飛び込んでいくもの。

「興味はあるけれど一歩を踏み出す勇気がなかなかない」という方、

安心して是非一度足をお運びいただければと思います。

山門(三門)をくぐれば、きっと何かが見えてきます。

 

合掌