横浜市指定有形文化財(彫刻)。畠山重忠公の念持仏として庶人に尊崇され、「此本尊三十年に一度開扉す」(新編武蔵風土記稿)と伝えられるなど、永年東光禅寺の秘仏として安置されてきた。像の厳しい顔つき、引き締まった肉どり、うねりの強い写実的な衣紋などに鎌倉時代初期の運慶派の特色が明らかである。鎌倉地方における慶派作品の展開を考える上での一佳品といえる。像高28cm。割矧造、玉眼、漆箔。鎌倉時代初期。
横浜市指定有形文化財(彫刻)。畠山重忠公の念持仏として庶人に尊崇され、「此本尊三十年に一度開扉す」(新編武蔵風土記稿)と伝えられるなど、永年東光禅寺の秘仏として安置されてきた。像の厳しい顔つき、引き締まった肉どり、うねりの強い写実的な衣紋などに鎌倉時代初期の運慶派の特色が明らかである。鎌倉地方における慶派作品の展開を考える上での一佳品といえる。像高28cm。割矧造、玉眼、漆箔。鎌倉時代初期。
横浜市指定有形文化財(工芸)。鞍全体に黒漆を施した上に細かい青貝を撒き、前輪の前面には細棒に酸漿の実を連ねた文様が高蒔絵で描かれている。「新編武蔵風土記稿」や寺伝に畠山重忠公遺物と記され、永年寺宝の一つとして護り伝えられてきたが、昭和54年の調査によって実際は江戸時代前期の制作と判明。しかしながら、その歴史資料的価値と漆工的な意匠、技術が色褪せるものではないだろう。なお、居木裏には江戸前期17世紀中頃に鞍製作が盛んであった旧兵庫県加東郡東城町(現加東市)の工房の花押「播磨東城」の銘が見られる。木製。江戸時代。
横浜市指定有形文化財(絵画)。釈迦・普賢・文殊の三尊を中心に十六善神を描き、玄奘三蔵とその難を救ったとされる深沙大将を配している。目の粗い絹に鋭い墨線で画面一杯に諸尊が描かれ、金銀などの薄板を貼って彩色する技法なども用いられた跡が見られる。116cm×53cm。鎌倉後期・室町時代。
本尊薬師如来の脇侍として一対をなす。日光菩薩による太陽の慈悲光があまねく世界を照らして無明の闇を滅尽し、月光菩薩による月の清浄光が人々に慈しみの心をもたらすとされる。ともに古代インドにおける仏の威光を光として表現したものと関連づけられる。像高65cm。寄木造、玉眼、漆箔。江戸時代。
本尊薬師如来の脇侍として一対をなす。日光菩薩による太陽の慈悲光があまねく世界を照らして無明の闇を滅尽し、月光菩薩による月の清浄光が人々に慈しみの心をもたらすとされる。ともに古代インドにおける仏の威光を光として表現したものと関連づけられる。像高65cm。寄木造、玉眼、漆箔。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
仏前に力強い憤怒相でたたずむ、薬師如来の信奉者を守護する12体の武神。それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされ、十二支が配当されている。像高32~36cm。寄木造、玉眼、褐色漆塗。江戸時代。
日本画僧、月海豪澄法師作。龍は仏の教えを守護する八部衆の一つであり、龍神と呼ばれる。仏法の教えである「法の雨」を降らすと信じられているほか、龍神が水を司る神であるため、火災から本堂を守るという意味も込められており、本堂大天井に奔放な姿で描かれている。昭和54年、本堂落慶を記念し完成。
宝暦年間(1751~1764年)頃、名勝・金沢八景を中心とした巡礼の旅として盛んに行われたとされる「金沢札所三十四ヵ所観音霊場めぐり」十六番札所の本尊。左手に蓮華を持ち、腰を少し右にひねっているのが特徴的。あまねく衆生、苦悩する人々の声を聞き、その求めに応じて救いの手を差し伸べる慈悲深い菩薩として、古来庶人の尊崇を集める。像高60cm。鎌倉時代。
宝暦年間(1751~1764年)頃、名勝・金沢八景を中心とした巡礼の旅として盛んに行われたとされる「金沢札所三十四ヵ所観音霊場めぐり」十六番札所の本尊。左手に蓮華を持ち、腰を少し右にひねっているのが特徴的。あまねく衆生、苦悩する人々の声を聞き、その求めに応じて救いの手を差し伸べる慈悲深い菩薩として、古来庶人の尊崇を集める。像高60cm。鎌倉時代。
建長寺開山・蘭渓道隆に師事し、その法をついだ四高弟の一人とされ、後に円覚寺、建長寺の住持も務めた東光禅寺開山、大興禅師(葦航道然・1219~1302年)。正徳6年(1716年)、開眼供養を行ったとする当住・玉翁宗毘による墨書の記録が像体内納入物として残る。像高47cm。寄木造、玉眼、彩色。江戸時代。
建長寺開山・蘭渓道隆に師事し、その法をついだ四高弟の一人とされ、後に円覚寺、建長寺の住持も務めた東光禅寺開山、大興禅師(葦航道然・1219~1302年)。正徳6年(1716年)、開眼供養を行ったとする当住・玉翁宗毘による墨書の記録が像体内納入物として残る。像高47cm。寄木造、玉眼、彩色。江戸時代。
かつて、寛文年間(1661~1673年)に現在の金沢区朝比奈に東光禅寺末寺として建立された常林寺(明治初期に廃寺)の本尊が移されたもの。像高86cm。寄木造、玉眼。室町時代。
学芸・財福・智慧の徳がある天女として信仰を集める。もとはヒンドゥー教の河の女神、サラスバティーであり、その後さまざまな性格が付与され、仏教や神道に取り込まれたとされる。日本では七福神の一人として民衆の信仰を集めてきた。像高32cm。寄木造、玉眼、彩色。江戸時代。
学芸・財福・智慧の徳がある天女として信仰を集める。もとはヒンドゥー教の河の女神、サラスバティーであり、その後さまざまな性格が付与され、仏教や神道に取り込まれたとされる。日本では七福神の一人として民衆の信仰を集めてきた。像高32cm。寄木造、玉眼、彩色。江戸時代。
仏教八大聖地の一つ、ブッダガヤ(インド・ビハール州。釈迦が7年の苦行の後、菩提樹の下で悟りを開いたとされる所)に建つマハーボディ寺院(大菩提寺)を描いた本堂襖絵。本堂天井の大龍画と同じく、月海豪澄法師作。