「憎しみ」の先にあるもの

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こんにちは、副住職です。

 

人生においてどうしても避けられないさまざまな苦しみを、仏教では「四苦八苦」に分類しています。その中の一つ、「怨憎会苦」とは、恨みを抱く人、憎い人とも出会わなければならない苦しみのこと。誰にとっても、一生のうち一人や二人は、はらわたが煮えくり返るほどに腹が立つ相手、というのはあるものだと思います。

 

しかしながら、心の底から憎しみ合っていた者同士が、心を開き互いを受け入れ、最後に赦し合い、さらに高め合うことができたなら、これほど尊いことはありません。

 

かつて第二次大戦で日本と英国が血みどろの戦いを繰り広げ、双方合わせて4万人近い死者が出たビルマ戦線インパール作戦。この戦いに生き残り、戦後、奇しくも商社マンとして英国に赴任したことをきっかけに、日英両国元兵士の和解に尽力された方がいます。2008年に88歳で亡くなられた元陸軍中尉・平久保正男さん。定年退職後の第二の人生のすべてを和解活動に捧げ、「和解大使」とも呼ばれました。

 

「誰かと憎しみ合ったまま死にたい者はどこにもいない」「無念にも死んでいった両国の戦友たちのため、二度とあんなことを起こしてはならない」。そんな思いに突き動かされ、平久保さんは退職後、地道に元英兵の生き残りを一人一人訪ねて回ったといいます。しかし、日本軍との凄惨な殺し合いを経験した元英兵たちは、捕虜収容所での虐待や泰緬鉄道建設のための強制労働の影響もあってほぼ例外なく日本人を憎んでいました。彼らが抱く日本人のイメージは、まさに「残虐」「野蛮」「冷酷」というもの。そんな憎しみの渦の中に平久保さんはあえて飛び込みます。

 

「帰れ」「それでも人間か」」と玄関先で罵声を浴びせられながらも、決してひるまず「悪いのは時代であり、戦争です」「私たちは同じ船に乗せられ共に地獄を見ていたのです」と粘り強く説く。しばらくすると、元英兵たちも次第に解き放たれ、それまで閉じ込めていた様々な思いをポツリポツリと語り始めます。そして最後にはほとんどが号泣し、互いに謝罪の言葉を口にして抱き合ったそうです。「ともに家族や祖国を守るために立ち上がり、尊い命を懸けて戦ったという点で、私たちは同志」と…。

 

そんな平久保さんの活動が原点となり、日英双方の賛同者は徐々に増え、両国元兵士による和解の会が組織され、相互訪問と文化交流、合同法要の実施へと輪は広がります。英国内の大学院図書館には、同会がまとめたビルマ戦線とその後の和解プロセスを綴った書籍が贈られたことをきっかけに「和解書籍コーナー」が作られ、今も世界を担う次世代に和解の経験とメッセージを発信し続けています。また、ロンドンの国際金融街・シティーに建つ「和解と平和のための聖エセルバーガ・センター」の一角には、両国元兵士たちが共同で贈った「YESTERDAY’S FOE IS TODAY’S FRIEND. (昨日の敵は今日の友)」との碑文が刻まれています。

 

『「報復」から「報福」へ』とは、かの松原泰道和尚の言葉です。相手の立場を理解・共感し、敵味方、善悪、恩や恨みといった相反する価値がより高いところで一つになった結果、恨みが友情・絆へと昇華し、双方が救われ、次世代に素晴らしい財産として引き継がれることとなりました。

 

「怨憎会苦」を避け、誰とも関らずに生きていくことはできません。私たちは人と接することで、思いやることを知り、また傷つくことを知ります。河原の丸い石は、元はゴツゴツした石同士が何度も何度も擦れ合い、長い長い年月を経てお互いに丸くなっていきます。角を取るためには、互いが傷つくことを知り、支え合わなければなりません。

 

 

合掌